緑川ゆき投稿歴に関する覚え書き
まとめ
2009年2月現在までに分かっている範囲でまとめました。
- 初投稿
- 1991年頃(中3):「花とゆめ」へ
- 花とゆめ投稿時代
- 1995年~1997年頃(19~21歳頃):花とゆめ HMC 2年間で8本投稿
- LaLa投稿時代~デビュー
- 1997年(21歳):LaLa 第74回LMS 初投稿「花泥棒」ベストルーキー賞
- 1998年(21歳):LaLa 第17回LMG 初投稿「名前のない客」ハイレベル賞
- 1998年(22歳):LaLa 第18回LMG 2度目「珈琲ひらり」フレッシュデビュー賞(デビュー)
以下、推定の根拠についてそれぞれについて詳しく説明します。
* 加筆にあたって大変お世話になりました。Aさん、斎藤さん、ありがとうございました。(2008年9月23日、2009年2月20日)
(2008年9月15日 初出)
(2008年9月28日 「名前のない客」について加筆修正)
(2009年2月20日 投稿歴について加筆修正)
(2010年9月8日 「名前のない客」についての文章を分離)
花とゆめ投稿時代
LaLaでデビューする以前、長く他誌に投稿していた、という話は、たまに単行本コメントなどで出てきます。この「他誌」が何なのかはずっと憶測の域を出ませんでしたが、2008年4月に「ぱふ」の特集号インタビューで判明しました。
『ぱふ 5月号 2008』巻頭特集「夏目友人帳」インタビューより: ―デビューまでの経緯を教えてください。
中3で初投稿を『花とゆめ』に。2年間で8本『花とゆめ』に投稿したのですが、まだまだ未熟だったので他で揉まれようと『LaLa』へ。
花とゆめとLaLaは、同じ白泉社の雑誌です。投稿していたのは、花とゆめのマンガ賞(HMC、花とゆめまんが家コース)ではないかと思います。LaLaでいえばLMSでしょうか。
この「2年間」については、恐らくLaLaへ投稿する直前だろうと思っていましたが、別の資料から確認することが出来たので、引用します。
『LMS攻略インタビュー2 presented by LaLa』インタビューより: 2. 初投稿からデビュー賞までの経緯・所要期間は?
初投稿から三年ほど間をあけて高卒後に投稿を再開しました。
以上から「高卒後の2年間、花とゆめに8本投稿した」というのを花とゆめ投稿時代としています。
「緑川沙知」名義
花とゆめ投稿時代は、デビューには結びつかなかったとのことですが、花とゆめ投稿者の記録を探してみたところ、「これはご本人では?」という情報が一つ見つかりました。
NACの趣味の部屋 HMC(花とゆめまんが家コース)受賞者リスト[1996]より:第248回(07/15 '96しめきり/'96 18号発表/応募総数168編) 順位 作者名 作品名 頁 県 賞 1位 竹沢宵子 Heaven Gate 16P 茨城 努力賞 2位 梶宗因 脳にファイアー! 16P 大阪 Aクラス賞 3位 緑川沙知 空園(からぞの)遊園地 24P 熊本 ベスト10賞
選評が掲載された1996年の「花とゆめ 18号」を、ご厚意で譲って頂くことができ、中味を確認しました。イラストが小さく1カット載っていますが、私はご本人と考えています。(→1996年「花とゆめ18号」の選評情報)
選評に「投稿4回目」とありますが、第248回HMCの応募締めきりの1996年7月までに高校卒業(1994年3月)から約1年あり、可能の範囲だと思います。
緑川さんのペンネームは緑川さんのお姉様がつけてくださったものだと書かれており、「緑川」は姉妹共通です。また、前記サイトさんのデータでは、「緑川」という名前の投稿者は上記の1名だけです。投稿時期が予想と一致すること、名字の一致、タイトルの雰囲気、出身県、などなどを考えて、おそらくご本人ではないかと思っています。
「賞をいただくには至らず」というコメントと若干矛盾しますが、デビューに繋がる大きな賞ではない、という意味だと捉えております。
※「高卒後の2年間」という言葉を、ここでは大雑把に「1995年4月以降~1997年4月、または夏頃まで」と考えています。緑川さんのお誕生日が1976年5月23日なので、この間に3度お誕生日を迎えられて、19歳~21歳。表記上、3年経っているように見えますが、こういうからくりです。(「夏頃まで」なのは、後述するLMSへの投稿作が11月締切りなため)
LaLa投稿時代
1997年後半、緑川さん21歳。投稿先がLaLaへ移ります。緑川さんは「初投稿作を初代担当様に拾っていただき」とよく表現されていますが、まさにとんとん拍子に進んだ、と言えるスピードで、デビューの階段を駆け上ります。
投稿、受賞、掲載のおよその時系列は以下です。
※日付は一般的なパターンで推定したもので、正確ではありません。
- 1997年11月10日
- 第74回LMS 募集締切り
- 1997年12月24日 1998年LaLa2月号発売
- 第74回LMS 審査発表:「花泥棒」ベストルーキー賞受賞+初投稿賞(→選評詳細)
- 1998年1月20日頃
- 第17回LMG 募集締切り
- 1998年3月24日 1998年5月号LaLa発売
- 第17回LMG 審査発表:「名前のない客」ハイレベル賞 (→選評詳細)
- 1998年4月10日 1998年5月号LaLaDX発売
- LMS受賞作「花泥棒」掲載
LMG投稿作「名前のない客」ではハイレベル賞(デビュー賞まであと一歩)を受賞。まだ21歳です。
同期の受賞者にあきかわみつみさん「finger tip」など。ちなみに、この頃のLMSのタイトル部分のイラストカットを担当されていたのは、樋野まつりさん(1995年デビュー)。
デビュー
1998年、第18回LMGにて、フレッシュデビュー賞を受賞して、緑川さんはデビューされました。LMGには2度目の投稿でした。
- 1998年5月20日
- 第18回LMG 募集締切り
- 1998年5月23日
- 緑川ゆきさんお誕生日:22歳
- 1998年6月24日 1998年8月号LaLa発売
- 第18回LMG 審査発表:「珈琲ひらり」フレッシュデビュー賞 (※選評詳細)
- 1998年8月21日 第4回LMGセミナー開催
- 生徒として参加
- 1998年9月24日 1998年11月号LaLa発売
- 第4回LMGセミナー レポート掲載 (※レポート詳細)
- 1998年10月10日 1998年11月号LaLaDX発売
- LMG受賞作「珈琲ひらり」掲載
なので、「珈琲ひらり」受賞発表時、緑川さんは既に22歳ですが、作品が描かれたのは緑川さんが21歳の時です。作品投稿時の年齢準拠で、受賞時のプロフィールは「21歳」と記載されています。
フレッシュデビュー賞について
実はこの、フレッシュデビュー賞という賞は、1度目のLMG(「名前のない客」)の時にはありませんでした。デビューするにはゴールドデビュー賞以上の賞が必要だったようです。この第18回LMGの時期、DXの新装を記念してフレッシュデビュー賞が新設されました。実質的デビュー枠拡大だったと思います。それを緑川さんが受賞した感じです。ものすごいタイミングです。
- 第18回LMG 審査員
- 成田美名子、杜真琴、森生まさみ
- デビュー者
- ゴールドデビュー賞:高里くるみ「andante」
- ゴールドデビュー賞:小林つな「遠隔操作」
- フレッシュデビュー賞:田中メカ「Light Right ラビット」
- フレッシュデビュー賞:緑川ゆき「珈琲ひらり」
田中メカさんは『あかく咲く声 1』のあとがきSpecial Thanks部分でお名前があがっていますので、その後も親交があったのかもしれません(*)。また、この第18回LMGで最終審査通過者には葉鳥ビスコさんのお名前も。(「碧の名前」埼玉県、22歳)現在のLaLaで活躍している作家さんには、この時期のデビュー者が大勢いらっしゃいます。
*親交について追記:白泉社全誌合同マンガ投稿サイト マンガラボ!のブログにて、「田中メカ先生×緑川ゆき先生スペシャル対談!」が公開されました。デビュー同期であるお二人の対談で、交流のご様子などがわかる大変胸の熱くなる対談です。(2019年10月8日)